また冬
先週いっぱいはインフルエンザでダウンしていました。
ドイツではノロウィルスとダブルパンチ・パターンもあったらしいのですがそれは何とか免れ、なんとか「普通」のインフルエンザで勘弁してもらった模様。
(でもまだちゃんと抜けきらず・・・)
ドイツはここのところまた雪
先週は半袖の人が歩いていたりしたけど、あれはなんだったんだ (笑)
先週の月曜日で東日本大震災から2年が経ちました。
去年と同じくこの時期になると胸にフツフツと湧き上がるものがあり、落ち着かなくなります。
頭の中は言いたい事、書きたいことでいっぱいいっぱいなのに、全然上手くまとめられない。。。そんな中で読んだ後藤正文氏の言葉を思い出す。
ゴッチの日記「あれから2年」より抜粋:
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2年後の今日は、昨年と同じく日比谷公園で行われた追悼イベントに出演した。会場に着くと様々なスピーチが行われていて、やや震災よりも原発問題に寄った雰囲気に違和感を感じた。今日くらい、震災のことだけ考えてもいいんじゃないかと思ったりもした。後のトークセッションや夕方に参加した講演会でも、なんとなく3月11日に話す内容としてふさわしいのかどうかという逡巡があった。もちろん、役割はまっとうしたのだけれど。
2時46分に黙祷。脳裏に大船渡や陸前高田、気仙沼、石巻、仙台の荒浜地区、南相馬の萱浜、行ったことのある場所の風景が浮かんだ。それは一瞬だし、いろいろ混じり合って鮮明なものではないけれど、塊として目蓋の裏側に浮かんだ。俺はグーっと胸が苦しくなって、「逃げろ、逃げろ」と繰り返し心の中で唱えた。あの日のあの時間を思って、それから起きたことを思って、「逃げろ、逃げろ」と何度も思った。それは届くはずのない言葉だけれど、もしかしたら、時間や空間を越えてあの日のどこかの誰かに届くかもしれない。笑われてしまうかもしれないけれどそうやって念じた。追悼のために鳴らされた鐘の音を聞きながら、大きな「震災」のなかであった喪失の数々をまとめて祈るというよりは、モニュメントとしての2時46分を思うと反射的にそうなってしまう。去年もそうだった。静かに祈りたいのだけれど、「逃げろ」という言葉が強い後悔や悲しみとともに浮かんできてしまう。
まだ、自分は戸惑ったままなんだと思う。
また現地に行くことがあれば、それぞれの町の、それぞれの場所で手を合わせたいと思う。静かに祈りたい。3月11日。
一方、病気で寝込んでいる間はずっと大ベストセラー
、孫崎享氏の「戦後史の正体」を読み返していました。気に入った本はしつこくしつこく読み返すタイプだったりします。
「戦後史の正体」より抜粋:
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「結局、日本民族とは、自分の信念をもたず、強者に追随して自己保身をはかろうとする三等、四等民族に堕落してしまったのではないか」(『続 重光葵日記』)
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たとえば大学で、「日露戦争(1905年)と日本の真珠湾攻撃(1941年)との関連をのべなさい」という問題を出すと、みなびっくりします。
「そのあいだには、あまりに長い時間の隔たりがあり、いろんなことが起こっているから関連はほとんどない」と思うからでしょう。
しかし日露戦争で莫大な借金をした日本は、その後、満州や中国へ利権を求め進出したのですから、大いに関係はあるのです。
「ケネディの暗殺(1963年)と今日の米国の内政の関連をのべなさい」という問題も同じです。
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こうやってじっくり読んでみると、納得できる部分がいっぱいあるような。。。
「知らない」ということは自分でとても恥ずかしい。
おしどりのマコさんのように「バランスのいい食事とか運動とかをするのが自分の身体のためのように、楽しい事をしたり、いろいろ美味しいものを食べたりしながらいろいろ社会の事を考えるというように、繋がるように」できたらいいな、と改めて思うのでした。