なんて便利
去年の12月頃からなんですが実は私の左腕、前は90度、真横は30度以上、まったく上がりません。11月半ばから「?」な傾向はあったのですがあれよあれよと酷くなり、現在の状況になってしまいました。
医者の診断では「40肩」なんですがどうもそんな感じではないので、いろいろと整骨・整体院をさすらっております。でも治らないのー。(涙)
これはこの春日本で治すしかないのかな・・・やれやれ。
もろもろの不便はさておき、難儀なのは着物の着付け。
なんせ手が回らないので後ろで紐が結べない。
着物はそれでも何とか右手を使って着れるけど、困ったのは帯。
結ぶ帯はもう不可能に近いので、去年の納釜も今年の初釜も付け帯を使いました。(それでも娘に手伝って貰わないとできない)
こういう状況になってみて初めて「後ろに手が回らないからもう着物は着れない・・・」と、着物を着ることを辞めてしまった人の気持ちが少しだけわかったような。私の場合は右手がまだ何とか使えるからいいようなものの、右手も使えないなら完全アウトです。
さて、写真は去年の納釜の帯と着物
帯は更紗の切りばめ風(?)ちりめんの帯
多分元は着物か羽織だったんじゃないかな。
二部式の付け帯になっています。
体の状態がしゃっきりしない時、柔らか物はなんとなくホッとする。
昔々、何かの茶会で付け帯をしていた(ということを教えた)ら、「お茶の先生なのに付け帯なんですか?」と言われたことがあった。最近はあまり無いけど、「お茶の先生」に対して妙なファンタジーを持っている人は今でも結構いるのかも。大昔の「高潔な女学校の先生」のイメージなんだろうか。(苦笑)
お茶の中で「美しく座っていられる」のは実はそんなに長くない。
移動があって、掃除があって、搬入・搬出があって、テントなんか張ったり、準備と片づけもあって、肉体労働も結構多い。そういう忙しい時間の合間や前に着物を着るのだからあまり時間は掛けられないし、時間があっても常に他の事を考えながらなので「上の空の着付け」だったりする。(汗)
これまた大昔の学生の頃に着付けを習いに行った時、その先生が「お茶の人の着物って酷すぎるわ、何とかならないのかしら」と言っていたけど、今なら「いやもう忙しいんですよ~、堪忍して」と答えるところ。(それは実は「綺麗に着れない」の原因ではなかったりするのだが)
しかし時間の無い時、体の調子があまりよくない時、付け帯って本当に便利です。
こういう帯こそお茶に向いているのかもしれないなあ。。。なんてね。
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