流されるのか 流されないのか
もう2週間前になってしまったけれども覚書として・・・というよりも、少し時間が経ったから冷静になって書けるかな?と思って書いてみます。
東京オリンピック開催が決定した9月8日はたまたま娘のクラスの懇親会&ピクニックがあった日曜日。準備もあるので朝にバタバタしている合間にネットを見ると2020年の夏の五輪・パラリンピックの開催地が正式に「東京」に決まったとのニュースが盛んに流れている。すぐには信じられないような気持ちで読み進むとそこにはもっと信じられないような、オリンピック委員会総会での安倍首相のプレゼンテーションがなされていたことを知り、しばし愕然。
鬱々とした気持ちでピクニック会場へ行くと、私の顔を見つけた子供のクラスの父親A(北ドイツ放送局記者)が早速やってくる。
父親A 「東京にオリンピックが決まったねえ」
私 「・・・・・・うん・・・」
父親A 「なんだか日本のプレジデントがフクシマは完全にコントロールされているって言ってたけど」
私 「・・・・・・・・・・・・うー・・・・」
父親A 「どうやってコントロールできてるの?」
私 「できてる訳無いじゃない、あれはオリンピックのための嘘だよ。」
父親A 「そうだよねえ、ついこの間すごい汚染水が海に流れているって報道があったのにね。なのにフクシマの原発30キロ近くで海開きして子供が海で泳いでいたりするんでしょ?信じられないなあ。」
私 「・・・・・・・・・・・・・」
この後看護婦のお母さん、大工さんのお父さん、弁護士のお父さんなどを交えて延々と「フクシマ議論」が続く。。。私、非常に情けない。(涙)
ドイツでフクシマの報道は結構多い。(と、思う)
子供ニュース番組Logoを子供と見ていたら、他の生徒の家族は皆自主避難したため、たった一人で小学校で授業を受けなくてはいけない福島の子供の特集なんてあったりした。息子の方は「ふーん」という感じだったが、11歳の娘の方は流石に複雑そうな顔をしてじっと私を見ている。娘を見返す私の顔もきっと彼女と同じ顔だっただろう。
こういう番組は日本では全国ネットで放送されたりしないんだろうか、どうなんだろう。
私にとってハンサム・ウーマンの一人である、作家の室井佑月さんは週刊朝日連載の「しがみつく女」の中でこう書いている。
週刊朝日 2013年9月20日号
東京五輪決定も「世の中の雰囲気についていけない」
法案成立後からずっと放置されていた「子ども・被災者支援法」は、放射線量基準値を決めないまま、福島県内33市町村を「支援対象地域」に指定するようだ。復興庁がそんな基本方針案を出してきた。
線量を基準にしたら、もっと広い範囲に対象が広がりそうだからじゃないのか。ホットスポットが見つかった場所の放射線測定費として、国はこれまで6億4千万円の予算をつけたが、結局、原子力規制庁はなんにもしなかった。
ほんとうにそれで大丈夫なの?
この夏、増え続ける汚染水の問題が出てきた。しかし、それはオリンピック招致のニュースで消されてしまった感じ。収束の目処がつかない原発のニュースは暗いから、オリンピックの明るい話題にしましょうってことじゃないよね。
こういった世の中の雰囲気についていけない。そして最近ではそういった自分に、罪悪感を抱くようになってきた。まるで、世の中を暗くしている元凶が自分なのではと思えてきたりして。そういう気持ちにさせられてしまう雰囲気が怖い。
かろうじて雰囲気に流されていないのは、子供の親だからだと思う。
じつはこの夏、息子の甲状腺のエコー検査と尿検査をしにいった。一度、心配してしまえば、不安な気持ちが大きくなるばかりだったから。
結果、息子の喉には5個の嚢胞(のうほう)が見つかった。
医者がいうには、そのこと自体はそんなに大変なことじゃないし、大事を取って二十歳くらいまで1年に1回、エコー検査と尿検査を受ければ問題ないのだとか。
とりあえず検査して安心した? いや、あたしはその後、もっと暗い気持ちになった。
福島やホットスポットに住んでいる子供のいる親たちは、どういう気持ちで今を過ごしているのだろうと想像するからだ。叫び出したいくらい不安なんじゃないか。子供を守るのは親の役目だから、あたしは間違ったことはしていないはずだ。うちは気にしているとあたしが正直に書くことにも意味があると思っている。
でも、東京にいる者がなにやってんだと、後ろめたい気持ちにもなる。させられるのだ、今の世の中の雰囲気に。
あたしは不思議でならない。「子ども・被災者支援法」に携わっている復興庁の人々や、ホットスポットの放射線測定費の負担事業を任された原子力規制庁の人々に、子供はいないのか。いたとしたら、自分の子供の心配はまったくしないのか。
自分の子供が線量が高いといわれる場所にいたらどういう気持ちになるか、人として最低限の想像力をなぜ持っていない?
国の方針に間違いはなく、絶対に信じられるものだという情報をなにか握っているなら、あたしたちにもわかりやすく教えて欲しい。時間が経てば経つほど、不安は増幅していく。
この東京オリンピックの決定の時、同時に思い出したもう一つのブログ記事がありました。それは同じくハンサム・ウーマンのジャーナリストの堤未果さんが農業協同新聞に掲載した記事。ちょっと長いのだけれども、「
子ども・被災者支援法」にも「秘密保全法」にも触れていてとてもいい記事だと思うので全文記載します。
「戦争とは、為政者が自国民に対してしかけるもの」
米国政府による大規模な個人情報収集プログラムが暴露された事件が、世界中で議論を巻き起こしている。この影響で大手ネット書籍販売のアマゾンではジョージ・オーウェルの小説『1984年』の販売部数が急増中だ。
「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる独裁者により、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、市民は常にほぼすべての行動が監視されている世界。オーウェルは同書の中でこう書いている。
〈戦争とは、各国の支配者集団が、自国民に対してしかけるものなのだ〉
国家安全保障局(NSA)が、政府に協力的なネット企業9社を通して特定の個人のメールおよびSNSの通信内容、ブログのアクセス記録や携帯電話の通話などを入手する。日常的に当局が世界中の市民のあらゆる行動を分析しているという事実を、内部文書と共に告発したのは、米国諜報機関(CIA)の契約社員エドワード・スノーデン氏だ。
だがこれは今急に始まった事ではなく、2001年の同時多発テロを大義名分にブッシュ前政権下で開始され、十年以上続いている。二〇〇八年には企業が通常憲法違反になる政府への個人情報供与が合法化され、さらに二〇一二年の法改正では企業がこれについて訴えられた際の刑事責任も全て免責された。あの時チェイニー元副大統領が言った言葉が、この監視活動に終わりがない事を意味していた事に、気づいた国民はどれ程いただろうか。
「少なくとも我々がこの世界に生きているうちは、アメリカの対テロ戦争は続くだろう」
それから今日までの間、当局によるこの行為が基本的人権の侵害、あるいは合衆国憲法違反だとして、何人もの米国民や人権団体、憲法学者などが告発を行ってきた。だがいずれも大手マスコミには取り上げられず、あるいは個人的なスキャンダルや性癖を批判対象にされ、やがて話題から消えていった。
今回も最初は内部告発の事実が報道されたものの、すぐに焦点はいつものようにスノーデン氏個人の問題にすり替わった。リベラル派が愛読するニューヨークタイムス紙を始め、各紙がこぞって流し始めたのは、スノーデン氏の性格が内向的で人間関係に問題があり、精神病歴があった事を強調する記事だ。
特定の個人への関心はすぐに別な新しいスキャンダルにとって代わられる。ウィキリークスのアサンジ氏がそうだったように、人々の関心が現政権への批判から彼個人への興味へ移せれば、体制はそのまま維持されるだろう。
情報の洪水にさらされて生活する現代の私達は、次々に来ては去ってゆく刺激的なニュースに慣れされている。報道は、それがセンセーショナルな切り口であるほどに、受け手は皮膚感覚で反応し、問題の本質から目がそれてしまう。
「子ども・被災者支援法」の復興庁担当職員がツイッターに暴言を書きこんだ事件もまた、マスコミは一斉に水野参事官個人の不祥事として、被災者を愚弄する彼の言葉そのものを大々的に取り上げた。そしてこの事件も、復興庁が組織としての責任を否定し、当の官僚を停職処分にした事で幕が引かれてしまったようにみえる。
だがこの件で本当に取り上げられるべきなのは、一年も前に成立しているにも関わらず多くの国民にその存在すら知られていない「原発事故子ども・被災者支援法」そのものだろう。二年以上たっても収束しない原発から、今も日々大量の放射性物質が放出される中、被災者や子供たちを放射性物質から守るこの法律が、何故一年以上基本方針も予算もつかず、棚上げにされ続け、政府と被災者の間をつなぐ筈の同法議連から与党議員が次々に抜けているのか。
アメリカでは企業マスコミの沈黙と国民の無関心が、想像を超えた監視体制を十年以上も維持させてきた。今秋に国会に提出される予定の「秘密保全法」も注視しなければならない法案の一つだろう。
言論弾圧の苦い歴史を持つドイツでは、EUで最大発行数を誇るシュピーゲル誌が、米国の事件をうけ、言論の自由を守る為に権力を全力で監視するという。
本当の危険は、わかりやすく差し出された敵の姿ではなく、国民の目が政治から離れたすきに、静かに忍び寄る変化の方なのだ。
オリンピックと戦争と原発と法改正と。
今読み返しても、テーマはまったく違うのに同じライン上に現れてものすごーく嫌な気分になる。でもここで逃げたらいけないんだろうなあ。