「哀しい」というのは確かにいえるかもなあ
この前の水曜日、十何年ぶりに語学の本を買いました。
諸事情により(諸事情でしかありえんが)「ちゃんとしたドイツ語喋ってね、あ、英語も出来たらよろしく。」なんてことになり、「お勉強」が始まっております。
十何年も住んでいる割には私のドイツ語はあまりエバれたものでなく(汗)、語学と言うものはもともと「その方面に素晴らしくセンスのある人」でない限り、「それなりの努力」をしないと「それなりのレベル」にはならないと思うので当然と言えば当然。(遠い目)
しかし40過ぎて「今更」の語学学習。。。うーむ。。。
ドイツ語の知らない単語は調べればいいし、久しぶりの英語も中高6年間がそんなに無駄でなかった証拠に文法や言い回しも「ふんふん」と、一応は理解できるので「大丈夫かな?」と思っていたら・・・
覚えられないんです、これが。
本を閉じた瞬間、全部忘れる。
この感覚、「最近の若いアイドル歌手やタレントの名前が全然覚えられない」にソックリなことに気付く。顔は覚えてるけど名前が出ない、教えてもらっても次の瞬間もう忘れる。それにとても似ているような?
通訳やその関係で仕事をしている友人に焦って相談したら「勉強すること自体久しぶりなんだから、慣れたら大丈夫よ。人間努力よ!」とのこと。そうなのかなあ・・・と思いつつ、「どうせならまだ十年前にやっときゃ良かった」と大いに反省。(遅いって)
しかし覚えても覚えなくてもどんどん時間は過ぎていき気分はまるで
受験生田中。
(受験生田中と
チャーハンのシリーズが好きなんです)
現実逃避はさておき、それとは別にこうやって「母国語」でない「自分の知らない」言葉に浸かっているとなんだか不思議な気持ちになってきたり。剥離感、というか「おい何やってんだ、大丈夫か自分」みたいな。
そんな中で思い出したのが村上春樹の「
やがて哀しき外国語」。友人Rに貰った、もう20年前に書かれたアメリカ滞在中の村上春樹のエッセイで、この本の中に次のような記述が
外国語を話すという作業には「気の毒といえば気の毒、滑稽といえば滑稽」という部分がある。
いやー、本当にそんな感じですね。
村上春樹のエッセイ集、特に旅行記は好きなんですが、この本では村上氏が作家になろうと思った経過の書かれた「ロールキャベツを遠く離れて」もとても興味深くかかれています。
ああ、他のまだ読んでない旅行記も読みたくなったなあ。。。しかしその前に黄色い本(語学の本)をやっつけなくては。。。とほほ。
*おまけ
吉田戦車さんへ:私にも書いてください
「超吉みくじ」