遊魚ひとり
連想ゲームみたいですが前回の
「湖月」を作っているうちにいろんなことがつらつらと頭に浮かび、もう一つの禅語が頭の中をぐるぐると回っていました。
「海月澄無影 遊魚獨自迷」
かいげつすんでかげなし ゆうぎょひとりおのずからまよう
よくお茶の掛物で使われるのは前半部分の「海月澄無影」ですが、私は後半の「遊魚獨自迷」の部分が好き。なんだか自分が魚になって心細く水底を泳いでいるような、そんな気がするのです。
ちなみにこの質問をした時の師の答、「海月既無影、遊魚何得迷(影がなければ何を迷うことがあろうか)」は私にはちょっと解せない、というかストレートすぎて何だか腑に落ちない気が。もっと深い意味があるのかなあ。。。?
ちなみに写真のお魚さんたちはお茶室のあるシュタットパークの鯉です
お天気になって澄み切った空気の中、水が鏡のように映し出されて綺麗でした
魚を見ていたら魚の入ったお菓子が作りたくなったので、家に帰ってこしあんの練り切りで魚を作成。ちまちました作業は苦手~。
それを「湖月」と同じ錦玉(白餡は入ってない)に沈めてみました
セラミックの型では魚が窮屈そうだったので、大きい型に流してセルクルで抜きました。だから側面がすりガラスみたいになっちゃいました。
この方がよかった・・・のか??
こういう大きくて「錦玉どーん」なお菓子はもちろんお茶じゃ使えません。私も作って楽しかったものの絶対自分じゃ食べたくないし。。。と思っていたら、ああっという間に娘に見つかり「お魚!お魚!!!」と大興奮。あっという間に間食していただきました。
凄い砂糖の量だったからなあ。。。よかったのか、悪かったのか?
いや、とりあえず無駄にならなくてめでたしめでたし。
もう、秋ですねえ
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